最近ネットやSNSでちょっとした話題になっている「梅ジャム創業70周年で廃業」というニュースです。

東京都荒川区にある梅の花本舗さんが作る「元祖梅ジャム」

御年87歳になる「高林博文」さんがなんとたった1人で作り続けていたと言います。

今日はその梅ジャムのマーケティングについて考えてみたいと思います。

梅ジャムのジテキマーケティング

駄菓子屋さん等で見かけた事もある方も多い「梅ジャム」

1個10円で梅をつぶしてペースト状になった駄菓子です。

14歳で家計を助ける為に野菜などを路上で売り歩いていた高林さんはある事に気付いて梅ジャムを思いついたそうです。

それは紙芝居を見る子供たちが紙芝居を見る時に煎餅を食べながら見る。という事。

「煎餅に合うジャムを作れば売れるんじゃないか?」

そう考えた高林さんは自宅で梅を煮詰め砂糖や小麦粉を加え味を整え梅ジャムを作り上げました。

そして紙芝居を見る子供たちに売ったところまさに飛ぶように売れたそうです。

この時の高林さんにとってのマーケティングは、

煎餅に付けて食べるジャムを目の前のお客さん(子供たち)に届けたい

という一心だったと思います。

顧客(紙芝居を見る子供たち)が目の前にいてマーケティング的には「ニーズを掴みやすかった」状態でした。

 

目の前に見えるニーズの裏にはたくさんの顧客がいる

そして時代は高度経済成長期に突入します。

梅ジャムを作る高林さんはこの頃1日「1万5千個」の梅ジャムを作っていたと言います。

もちろんこれだけの数を作っていた訳ですので目の前の子供たちに売っていたわけではありません。

駄菓子の卸会社を通じて日本全国の駄菓子屋さんに卸され全国の子供たちが買っていた訳です。

ここで大事なポイントは「目の前のお客さんを本当に喜ばせる事が出来たらその商品はもっと求めている潜在顧客がいる」という事です。

だからこそ高林さんは自分で売るだけでなく卸の会社に梅ジャムを売る事にしたのでしょう。

その潜在顧客に商品を届けるのが昭和の時代から平成の途中までは卸会社だった訳です。

そしてその商品の情報を伝えるのは新聞でありテレビでした。

 

時代は変わり梅ジャムはインターネットやSNSで話題になる

そして現在梅ジャムンが製造中止になると話題になったのはインターネット上やSNS上でした。

オークションサイト等では定価の3倍で取引をされていたようです。

またツイッター等では、梅ジャムを懐かしむ声や惜しむ声が多数上がっていました。

昭和から平成に掛けてこれだけ多くの人に愛され記憶に残る商品を作り続けた高林さん。

そのマーケティングは紙芝居を見る子供たちに梅ジャムを売ったその日の「目の前の子供たちにただ美味しい梅ジャムを食べてもらいたい」。

その一途な想いのままの70年間だったのではないでしょうか?

またお子さんが2人いらっしゃるそうですが事業継承はしないそうです。

投資家の方からも事業譲渡の打診があったそうですが、「この味を作り出す事は出来ない」との理由から全てお断りしたそうです。

まさに梅ジャムこそ「自分に適したマーケミーティング」を行い時代を駆け抜けた名品、名マーケティングと言えるでしょう。

外部の人間が辞めるのはもったいない。と言うのは勝手でしょうが高林さんご本人が「毎日一生懸命に働いて悔いは無い!」と言い切っているのでそれが1番良い形なのでしょう。

梅ジャム廃業につき売切れ画像

 

まとめ

現代ではパソコンで設計図だけを作って東南アジアの国の工場に発注する。ともするとこれが効率経営だともてはやされるケースもありますが、一方で自らが1~10まで作り上げそのノウハウを継承する事無く一代限りで終わらせる。

中小企業にはこんな形のマーケティングや経営の方法もあるんだという事は心に留めておかなければなりません。

また同じように職人さんが1人で製造を行い存続が危惧されている商品に「ようかいけむり」もあります。

中小企業の事業継承問題は少子高齢化で人口減少している日本ではこれから経営の大きな課題となりそうです。